2013年05月27日
自然塾2回目(種蔵/池ヶ原湿原他)
さわやかな五月晴れとなった、26日(日)自然塾第二回「新緑の池ヶ原湿原と洞のオオカツラ、種蔵散策」を岩佐さんの解説を交えながら行いました。

道の駅「林林」に集合して車を乗り合わせて、考古博物館前に到着、隣の塩竃神社にお参りし、そこで今日の講師である岩佐勝美さんより、飛騨の歴史や今日訪れる場所の事について説明を聴きました。

途中には23年12月まで地区として存在していた、洞地区の記念碑前でこの地区の事について話を聞きました。現在でも町から通って野菜作りをしたり、山の手入れに日中だけ来る人はいるようですが、地区としての機能が無く(区長他地域の世話をする人が存在しない)なったのが23年12月とのことです。写真の後ろに映っている建物は、洞地区の公民館だった建物です。

記念碑が建立されているこの場所から歩いて10分程度山に入ると、洞の大カツラがあります。トチ・サワグルミと並んで渓流を好む三大樹木の一つがカツラですが、幹周を図ると19.3mあります。小さな祠もカツラの横にありますが、現在はご神体はいないそうです。

カツラの巨木を見た後は、池ヶ原湿原に到着しました。入り口で湿原の事について少しお話を聞いて、散策開始です。看板の前で集合写真を撮りました。今日は総勢17名の方々にご参加いただきました。



湿原の中にようやく芽吹きが始まった樹木がありました。「ヤチダモ」という木ですが、谷内(やち)と書くとおり、谷の中(湿地帯)に生活の場がある、モクセイ科の樹木です。
写真の後方にあるのが、国有林のスギ林です。拡大造林の全盛期(昭和30年から40年代)に多分、植林されたスギだと思いますが管理も放棄されて、材としては価値のないスギがほとんどです。水源涵養林としての機能は残っていると思いますが、国の方針で、天然更新に任せていると思われる森林地帯ですね。
木道も整備が進んでいますが、奥の方がもう少し未整備で、湿原に沈み込んでいます。一番やっかいな湿原の植物は、ヨシ
であり、ヨシが繁殖すると湿原ではなくなります。ヨシとの戦いは毎年繰り返される湿原維持管理の重要な作業です。
リュウキンカがこの日は一番目立ちました。水の流れに沿ってリュウキンカが咲いていますが、イワナもとても多く見られます。ある程度、水が湿原に滞留していないと湿原が湿原でなくなります。水の流れをコントロールする事も大切な事なのかもしれませんね。

この地に残る伝説について、岩佐さんは絵本をめくりながらお話をされました。絵本は岩佐さんが書かれた本とのことです。多彩な才能に感服しました。
池ヶ原湿原のある一体は「ニコイ高原」といいます。ニコイはアイヌ語で“連綿と連なる山々・・・”というような意味合いがある言葉です。


池ヶ原湿原をあとにして、今日最後の訪問地である、棚田と板倉の里「種蔵地区」へ到着です。日本の原風景が残っているのどやかな雰囲気のある地域です。
地区の平均年齢が70歳・・・超高齢化社会ではありますが、新日本紀行というNHKの長寿番組にも取り上げてもらえそうなこの地は日本の宝物として残って欲しいですね。
女性陣の後に咲いている白い花は考古民族館出発から道端に、とても多く咲いていましたが、種蔵にもたくさん自生しています。セリ科のこの植物の名前は「シャク」新芽がでて葉も柔らかいいうちは、美味しい食材となります。
これだけ大きくなるとさすがに食べる事は無理だと思いますが、皆さんシャクを持ちながら写真に収まっています。さしずめ写真のタイトルは“シャクにさわる人たち・・・”とでもしておきましょうか?

種蔵地区の板倉作りを撮影するのに絶好のポイントがこの場所です。ライトアップ等もあり夜も見所一杯です。宿泊施設もあるので、泊まりたい方は予約してお出かけ下さい。


板倉作りの倉を建てるときは主にクリを材として使います。腐りにくいからですが、カツラで作った倉もあるそうです。板倉作りの外観と構造の解説を聞いているところです。
家から離れた場所に倉を建ててありますが、家を壊すことがあっても食料や種物は守るようにという配慮から住居とは離して倉が建てられていたようです。

岐阜の棚田21選に選ばれた棚田の景観です。日本のマチュピチュという風にも言われるようですが、棚田を仕切る石積は耕作面積を少しでも増やすために、垂直に積める石積みとしたそうです。石は山から切りだして小さくして積んだとのこと、河原から運んでくるとなると途方もない労力ですが、岩山から切り出すと作業量も少しは軽減されそうですね。

石積みの途中に出っ張った石がところどころあります。高原さんが登っていますが、これは石積みの隙間から生えてくる雑草を取るときに足掛かりとするために、わざわざ出っ張らしてあるようです。高い石積みなどは除草も大変ですが、工夫を凝らして知恵を結集して、この地での生活が行われていたのですね!
今日は種蔵を巡る7つの謎という資料がありましたが、これまでに書いた中にも謎解きが含まれています。資料が未完成の方は謎解きを完成させて下さい。
周りより高いところに水があるなんて?? という謎は、サイホンの原理が判ると、山の一番上から水が、水田に流れている理由も理解できます。
一日、大変お疲れ様でした。さわやかな気候の元での自然塾、次回は利賀村で奥山の樹木をメインとした講座を行います。
富山県内屈指のブナ林も歩きます。3回目の自然塾もお楽しみに・・・

道の駅「林林」に集合して車を乗り合わせて、考古博物館前に到着、隣の塩竃神社にお参りし、そこで今日の講師である岩佐勝美さんより、飛騨の歴史や今日訪れる場所の事について説明を聴きました。

途中には23年12月まで地区として存在していた、洞地区の記念碑前でこの地区の事について話を聞きました。現在でも町から通って野菜作りをしたり、山の手入れに日中だけ来る人はいるようですが、地区としての機能が無く(区長他地域の世話をする人が存在しない)なったのが23年12月とのことです。写真の後ろに映っている建物は、洞地区の公民館だった建物です。

記念碑が建立されているこの場所から歩いて10分程度山に入ると、洞の大カツラがあります。トチ・サワグルミと並んで渓流を好む三大樹木の一つがカツラですが、幹周を図ると19.3mあります。小さな祠もカツラの横にありますが、現在はご神体はいないそうです。

カツラの巨木を見た後は、池ヶ原湿原に到着しました。入り口で湿原の事について少しお話を聞いて、散策開始です。看板の前で集合写真を撮りました。今日は総勢17名の方々にご参加いただきました。



湿原の中にようやく芽吹きが始まった樹木がありました。「ヤチダモ」という木ですが、谷内(やち)と書くとおり、谷の中(湿地帯)に生活の場がある、モクセイ科の樹木です。
写真の後方にあるのが、国有林のスギ林です。拡大造林の全盛期(昭和30年から40年代)に多分、植林されたスギだと思いますが管理も放棄されて、材としては価値のないスギがほとんどです。水源涵養林としての機能は残っていると思いますが、国の方針で、天然更新に任せていると思われる森林地帯ですね。
木道も整備が進んでいますが、奥の方がもう少し未整備で、湿原に沈み込んでいます。一番やっかいな湿原の植物は、ヨシ
であり、ヨシが繁殖すると湿原ではなくなります。ヨシとの戦いは毎年繰り返される湿原維持管理の重要な作業です。
リュウキンカがこの日は一番目立ちました。水の流れに沿ってリュウキンカが咲いていますが、イワナもとても多く見られます。ある程度、水が湿原に滞留していないと湿原が湿原でなくなります。水の流れをコントロールする事も大切な事なのかもしれませんね。

この地に残る伝説について、岩佐さんは絵本をめくりながらお話をされました。絵本は岩佐さんが書かれた本とのことです。多彩な才能に感服しました。
池ヶ原湿原のある一体は「ニコイ高原」といいます。ニコイはアイヌ語で“連綿と連なる山々・・・”というような意味合いがある言葉です。


池ヶ原湿原をあとにして、今日最後の訪問地である、棚田と板倉の里「種蔵地区」へ到着です。日本の原風景が残っているのどやかな雰囲気のある地域です。
地区の平均年齢が70歳・・・超高齢化社会ではありますが、新日本紀行というNHKの長寿番組にも取り上げてもらえそうなこの地は日本の宝物として残って欲しいですね。
女性陣の後に咲いている白い花は考古民族館出発から道端に、とても多く咲いていましたが、種蔵にもたくさん自生しています。セリ科のこの植物の名前は「シャク」新芽がでて葉も柔らかいいうちは、美味しい食材となります。
これだけ大きくなるとさすがに食べる事は無理だと思いますが、皆さんシャクを持ちながら写真に収まっています。さしずめ写真のタイトルは“シャクにさわる人たち・・・”とでもしておきましょうか?

種蔵地区の板倉作りを撮影するのに絶好のポイントがこの場所です。ライトアップ等もあり夜も見所一杯です。宿泊施設もあるので、泊まりたい方は予約してお出かけ下さい。


板倉作りの倉を建てるときは主にクリを材として使います。腐りにくいからですが、カツラで作った倉もあるそうです。板倉作りの外観と構造の解説を聞いているところです。
家から離れた場所に倉を建ててありますが、家を壊すことがあっても食料や種物は守るようにという配慮から住居とは離して倉が建てられていたようです。

岐阜の棚田21選に選ばれた棚田の景観です。日本のマチュピチュという風にも言われるようですが、棚田を仕切る石積は耕作面積を少しでも増やすために、垂直に積める石積みとしたそうです。石は山から切りだして小さくして積んだとのこと、河原から運んでくるとなると途方もない労力ですが、岩山から切り出すと作業量も少しは軽減されそうですね。

石積みの途中に出っ張った石がところどころあります。高原さんが登っていますが、これは石積みの隙間から生えてくる雑草を取るときに足掛かりとするために、わざわざ出っ張らしてあるようです。高い石積みなどは除草も大変ですが、工夫を凝らして知恵を結集して、この地での生活が行われていたのですね!
今日は種蔵を巡る7つの謎という資料がありましたが、これまでに書いた中にも謎解きが含まれています。資料が未完成の方は謎解きを完成させて下さい。
周りより高いところに水があるなんて?? という謎は、サイホンの原理が判ると、山の一番上から水が、水田に流れている理由も理解できます。
一日、大変お疲れ様でした。さわやかな気候の元での自然塾、次回は利賀村で奥山の樹木をメインとした講座を行います。
富山県内屈指のブナ林も歩きます。3回目の自然塾もお楽しみに・・・
Posted by tsuru at
08:50
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